【アニメ】『鬼滅の刃』について語ってみる②

アニメ

「②ストーリーが王道」について

まず、この作品の主軸となるテーマは「主人公が妹を助ける」である

もっと踏み込んで言うならば「主人公が人間ではなくなった(鬼になってしまった)妹を人間に戻す」というお話なのだ。

また、初期設定として「主人公は子供(男)で、少し貧しくて(田舎育ち)、真面目で、少し賢いものの戦闘力は平凡」といった状態だ(この設定は後付けでいじれてしまうが、ストーリーの序盤には影響しない)

さらに、作品の世界観として「鬼という人間の敵が居て、その鬼と戦う超人的な人間がごく一部存在する」「時代設定は大正時代」というものがあり、主人公はその世界観に巻き込まれていくという流れで話が進んでいく。

つまり、ざっくりと言うと「少し昔の時代、鬼という脅威が存在する世界で、田舎で平凡に生まれ育った幼い男の子が、鬼と互角に戦える程の超人的なごく一部の人間たちと関わりながら、鬼に変貌してしまった妹を人間に戻してあげるために頑張る」という作品なのだ。まさに王道。

 

しかし、語りはここでは終わらない。平凡な主人公が頑張って成長していく系の物語には重要となるポイントが2つあり、【アニメ】『鬼滅の刃』はそれらを高い水準で満たしていると筆者は考える。

1つは、「努力に見合った成長率が作品を通して一定に見える」こと

これはつまり、じっくりと主人公の成長過程を見せていく作品であるならば、ご都合主義はやめろということである。人の成長は努力の質や量で多少の上下はあったとしても、ほぼ真っ直ぐ一直線、1次関数を描くようなイメージであるべきだということである。初期設定での強さをどこに設定するかはいいとしても、成長の過程は厳密でなくてはならないのだ。なぜならば、成長とは続いていくものであるからである、物語も同じように続いていくものなので、上下しまくる折れ線グラフのようになっては物語自体も壊れてしまうぞとなるのである。

前回の「①映像としての完成度が高い」でも触れたが、原因がよくわからないまま登場人物が強くなったり弱くなったりすると、視聴者は「???」とツッコミを入れたくなるだろう。それを「ここが見せ場なんじゃあああ!」と言わんばかりに力で捻じ伏せてきた『ufotable』は実際すごいのだが、ご都合主義が無い方がより良いことには違いないのである。

まあ実際にはご都合主義によるパワーアップの恩恵はあまり無かった上に、そのパワーアップも一時的なものに加えて、物語前後の流れの中でのパワーバランスには影響を及ぼさないように見せかけてはいるが、、、この先の見せ場がやってきたときも「ご都合主義で乗り切るんじゃね?」という考えが芽生えてしまうことはやむお得ないだろう。

これだけを見ると「え、じゃあダメなんじゃね?」と思われるかもしれないが、【アニメ】『鬼滅の刃』では、厳しい修行を年単位で続けて少しづつ強くなっていくという描写がきちんとある。鬼やら超人やらが存在する世界観なのでリアリティのある内容だとは言いづらいが、それでも作品全体の流れのなかで成長率のルールがあると示していた。そして、基本的にはそれを守っているように見て取れたのだ。(これを先に書くべきだったと今になって思う・・・)

一つ勘違いしてもらいたくないのは、ご都合主義の在り方を全否定しているわけではないということである。物語が続いていくその流れのなかで、「努力に見合った成長率が作品を通して一定である」ことがポイントなのであって、最序盤からご都合主義を前面に押し出して、それを売りにしている作品だったら、それはそれでそのまま続けていけばいいと思う。

2つめは、「テンポ良く正しく物語がゴールに向かっている」こと

これはつまり、話を無理に引き延ばしたり、要らない話を混ぜるなということである。要は物語がちゃんと進んでいるかどうかということなのだが、これがそう単純な話ではないのである。毎週1話づつ続いていく作品であるならば、それぞれの話が意味のあるものでないと作品全体を通して見たときに歪んだようになってしまうのである。

まず、主人公が頑張って成長していく姿が見たいのに、いつまで経ってもそれが見られないと、それがストレスになってしまうだろう。また、成長する姿が見たいは見たいのだが、明らかに変な方向に向かっていったりすると、これもちょっと待てとツッコミを入れたくなるだろう。

経験が無いだろうか?「話全然進まないなぁ」とか「これこういう物語だったっけ?」とか「なんかどんどんおかしくなっていってないか!?」などと感じて観るのを途中で止めてしまったという経験が。

これは作品の作り方の問題なのだが、例えば、【アニメ】『鬼滅の刃』は全26話で構成されている。これを各話並べていったときに、どの話でも戦闘が起きているか物語が進行しているかなので、全てが見ごたえのあるものに仕上がっていて、とても評価できる。しかし、そうではない作品も世の中には存在する。

仮にだがこの【アニメ】『鬼滅の刃』を全52話にしてしまったらどうなるのかということを考えてみよう。単純に考えて26話分の映像を足してやらねばならないのだが、「何」を足していくのか?その足したものは必要なものなのか?それは視聴者が満足するものなのか?といった課題がでてくるだろう。

理想を言うならば全ての話に意味があって、視聴者も毎回次の話を心待ちにできればいいのだが、現実には「これ必要か?」って話がちらほらでてきてしまう。そこで飽きてしまうのである。第1話と最終話の間には確かに物語があって確かに進行してはいるのだが、その途中を無理に引っ張ったせいで飽きられてしまった。このような作品を数多く見てきた。

つまり何が言いたいのかというと、物語というのは本来、1話1話積み上げていくものだから、作品として完成したときの分量なんてものは、その作品によって違って当然である。それなのに枠にピッタリ収めるために引き延ばしたり、不要なものを詰め込んだりすれば作品は壊れちゃうよねってこと。

枠に収めることしている作品が存在するということに関しては様々な事情があるかもしれないし、その是非を問うつもりもないが、は丁度良く仕上がった作品が観たい!テンポが良いと気持ちいい!

 

こういったポイントが大事なのではないかと常々考えております。

③以降は次回へ

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